『真夜中の弥次さん喜多さん』<少年王者舘>

 いろんな舞台のレポートを書く仕事をやらせていただいてから、これまでに、オモシロかった劇団は数々あったが、今回紹介したいのは本物の才能である。

 作・演出家の名前は『天野天街(てんがい)』42才。

 いや〜、オモシロかったデス。『真夜中の弥次さん喜多さん』。原作は、しりあがり寿のコミック『真夜中の弥次さん喜多さん』である。(この漫画は「COMICアレ!」に96年〜97年に連載され、単行本2巻で一旦完結。続編の『弥次・喜多in DEEP』はその後2002年まで連載が続く大作となり、2001年に手塚治虫文化賞受賞した)----以上、パンフ、ウニタ氏の文より抜粋。

 観終えた後の感想を簡単に言うなら、“最高にオモシロイ、シュールな娯楽”を観た。というものだった。

 さて、内容デス。弥次さん、喜多さんはホモ関係にあり、喜多さんは薬物中毒である。男二人の伊勢詣りも、喜多さんを立ち直らせるためのものだ。江戸の、二人のいる座敷から、冒頭彼らが旅立つ演出は、映像と音を効果的に使ってスピーディーでキレがある。(バックに大写しに出てくる宿場町の名前が、後方にカッ飛んでいくというもの)最近、どの劇団の舞台づくりも、映像をうまいこととり込んでいるが、天野氏のそれの場合、表現の一つ一つが非常にウケル。目を奪われる。(長雨のため、弥次・喜多の二人が川で足止めをくって、宿の座敷にいる。バックの障子を開けると「ザー」という文字が縦に降っている。または別の場面で、セミが鳴いている。障子を開けると、無数の「mean」の文字が横に流れている、等々。)

 江戸を出発してからの弥次・喜多の道中(旅)は、現実と幻想、あるいは生と死を往還する精神世界のものとなる。

 さらに天野氏は、同じシーンを何度も循環させるという手法を用いている。これは、しばしば用いられるワザなのだが、天野氏の場合、その反復の度合がハンパじゃないのだ。何回も堂々回りをしていく中で、同じ言葉を聞き、同じしぐさを見ているうちに、こちら側の内面が変化してくるのがわかる。

 つまり、観客に夢と現実の境界が溶けて無くなる様な不思議な世界を、バーチャル体験させたいという天野氏の偏質な目論見と、彼の芸術的粘着性を強く感じるのである。

 そして、そういった彼の仕掛けにハマルというのはどういう事かと言うと・・・非常にキモチイイのだ!!この気持ち良さこそ、天野天街の魅力かも知れない。

 まだある。それは舞台上の様々な仕掛けだ。(中央に敷いてある布団の下の穴から人間が出入りしたり、その穴からいろんな物が出てきたり、喜多さんのプチ宙づりがあったり、障子の破れた穴が自由に動いたり、その穴からすごく長くて白いものがニョロニョロ出てきたり、等々。)

 天野氏の演劇的サービスと言い換えてもいいこれらのモロモロさえ、観る私の、普段は隠れてる快楽の中枢をサワサワと刺激するのだ。

 ともあれ、知る人ぞ知る存在である天野天街氏の劇世界を体感した人々は、言葉を尽くしてその魅力を語っているようである。

 2003年に行われた中国の三都市(北京、ハルピン、重慶)の公演も、中国の人々に好評をもって迎えられたという。さもありなんと思う。天野天街の舞台の奥底には、万国共通の良質で骨太な芸能のエッセンスが流れているからだ。

 公演後、私は天野氏に、こういう質問をぶつけてみた。「天野さんの芸能の核とは何ですか?私の場合は、テレビで見ていた、てなもんやとか吉本とか、もっと子供の頃見た、父の持っていた古い映画の本とかそういったものなのですが・・・。」天野さんはこう言った。「子供の頃、家業は貸本家でして、父が結核で入院し、店番をしていた時、ずーッとながめていたいろんな本の背表紙ですかね・・・。」う〜む。何となく納得したのであった。

 1982年、「少年王者舘」という劇団を旗揚げし、名古屋を拠点として演劇に拘らず、映画「トワイライツ」等、多岐にわたった活動を展開している天野氏が、全国区として名をはせるのも、そう遠い先の話ではないだろう。今後は愛知万博の年に、名古屋の御園座のような大劇場で百人単位の「真夜中の弥次さん喜多さん」をやりたいと言う。観てみたい。

 彼の今後の活動から目が離せない。

<少年王者舘 『真夜中の弥次さん喜多さん』>                           
公演日時:2004年1月6日〜1月13日 シアター・グリーンにて                    
脚本・演出:天野天街

 

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