『あのひとだけには』<SPIRAL MOON>

 いいお芝居にめぐり逢いました。
 この企画を始めさせてもらってから、数多くの小劇場系の舞台を観てきましたが、人間の思いや情といったものに真正面に向き合って、それもキッチリ表現している劇団は案外少ないものです。
 そういった中で、このスパイラル・ムーンの「あの人だけには」の舞台には、人間の内面に真摯にとり組む凛とした姿勢と限りないあたたかさを感じたのでした。

 天国の入口。静ひつという言葉が似つかわしいような無数の本(死者のファイル)に囲まれた部屋に二人の係の女性がいます。ここでは不慮の事故で命を落とした人々が、生前に逢っておきたかった人を一人だけ選んで、その人と話ができる場所です。
 選ばれた生きている人にとっては、その人の夢の中での再会ということになります。
 
  劇中3人の男女がこの天国の入口にやって来ます。
 プロのミュージシャン志望でケンカで死んでしまった青年。ダンプにひき逃げされたケータイ大好きな今どきの若い女性。そして太平洋戦争で戦闘機で出撃し、戦死した若き兵士。
 この3人のそれぞれの人間模様が、係の女性との会話の中で除々に明らかになっていきます。ミュージシャン志望の青年が会うことを望んだのは、母親でした。彼はあっけなく逝ってしまった自分の今の状態をあまりよく認識していない様です。
 それはダンプカーにひき逃げされた若い女性も同様です。突然の事故死とは死者もあとに残された生者にとっても、余りにも多くの、そして様々な思いを残してしまうものであるなあと胸にせまります。
 死者と生者には短い面会時間しか許されていません。いきなり何をしゃべっていいのかとまどうミュージシャンの青年と母親。二人の場面は親子の情愛が充分感じられましたし、愛する誰よりも自分をひき殺したダンプカーの運転手に会って、彼にうらみごとの一つでも言いたい女性の気持ちも同感できるものでした。しかし、彼女に呼び出されたダンプの運転手は反省するどころか、家庭は崩壊し、今も警察から逃げ回っている自分の身の不幸をわめく身勝手さ、その逆ギレ模様は現実的な人間というものの一断面でしょう。
 もっともこのダンプの運転手、彼も心の奥底では良心があり、それが作用した自動車事故でこの天国の入口にやって来ることになるのですが・・・。
 そして私が一番感動したのは、戦死した兵隊さんが自分の妻に会いたいと、係の女性に頼むところから始まる部分でした。
 しかし、妻は既に死んでおり(生きている人にしか会えない決まりなのです)兵隊は落胆しますが、その時係の女性はこう言うのです。「あなたには娘さんがいた」と。兵隊は驚きます。
 妻が子を宿していたことなど思いもよらなかったからです。
 「では娘に、ひと目会いたい」ーーーと思うのは人情でしょう。しかし、係の女性はそれはできないと言うのです。理由を兵隊に聞かれても、答えようとしません。何故なら、その娘もこの世の者ではないからです。
 実は彼女は残念なことに自殺して世を去っていたのです。そして、その娘こそ、この兵隊の目の前にいる係の女性だったのです。
 奇せずして、父と娘はお互いに死者として会うことができたわけですが、父である兵隊はそれを知る由もありません。係の女性は目の前の父に自分が娘であり、しかも自殺したことなど言えるはずもなく、父には自分が今も元気で生きていると思っていて欲しかったのです。
 しかし、いつしか父である兵隊は、係の女性が自分の娘であると悟ります。娘の気持ちが痛いほどわかるので気付かないフリをしたままでいようとします。ですが、父と娘の情愛はそんな二人の哀しい意思を大きくつつみ込む程のもので、二人はやがて真の父娘として向き合い、父は万感の思いを込めてやさしく娘を抱擁するのでした。

 言外の言葉、いわゆる内面の思い“情”といったものを観客に伝えていくことこそ、芝居というものの要諦といっても過言ではありません。

 この「あのひとだけには」の舞台には、充分そういった役者間でやり取りされる“情”が横溢しており、それを実現させるべく抑制された秋葉正子氏の演出は、大変に秀逸であったと思いました。
 また観に行きたいユニットです。

2005年3月27日観劇

<SPIRAL MOON『あのひとだけには』>
公演日時:2005年3月26日〜4月3日 下北沢「劇」小劇場 にて
脚本:門 肇
演出:秋葉正子

○次回予告○
「Nacht Musik」
2005年11月30日(水)〜12月4日(日) ザムザ阿佐ヶ谷 にて
作:柄澤太郎
演出:秋葉正子

 

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