『肉屋の息子』<THE SHAMPOO HAT>

名画座でかかっているような良質なイタリア映画を観た。ーーーそんな印象でした。
 劇空間に広がる生活感、漂ってくるような匂いまで表現した作・演出の赤堀雅秋氏の力量には感嘆しました。

 古い商店街の、どこにでもあるような肉屋。その店舗の裏にある住居。日当たりも悪くジメッとしていて、ニラなのか何かすえた匂い。裏口にはムダ吠えする雑種の犬が鎖でつながれ、その足もとにはエサ用のブリキのデコボコのナベがころがっている。ーーーといった生活感一杯の状況にまず引き込まれます。上手奥の和室の襖は常時しめられており、その襖の向こうには、今はもの言わぬ老婆が横たわっていると想像されます。
 そんな家にやって来るこの家の長男。彼は今、ドラマのシナリオライターをやっており、母の訃報を聞いて実家に戻って来たのです。長男を迎えるこの肉屋を継いだ弟夫婦。弟は好きなオレンジジュースを飲み軽口をたたき、小ぶとりの嫁も日常と変わらぬ立ち居振る舞いに見えます。会話の中で、母親の介護が今まで大変だったことが察せられます。その束縛がなくなったからか、弟の様子からは解放感さえ感じられます。

 幼い頃肉屋の裏のこの住居で、くんずほずれつ兄弟喧嘩もしたであろう兄と弟は社会人となった今、互いにかわす会話は淡々としていてまるで他人の様です。しかし、その会話の底流には、肉親としての二人の情念がひしひしと感じられたのです。兄からは弟にすべてを押しつけたことに対する負い目が、弟からは兄に対する羨望と嫉妬が。
 芝居のトーンがあくまでも押さえぎみに淡々と進行するが故に、逆に、役者の感情のうねりや緊張感が観る側の気持ちの中で高まっていくのです。

 さらに、長男がこの住居で一人になった時に見た、昔外に女をつくって彼ら兄弟や母を捨てて出ていった父の姿も、この家に対して愛憎半ばする長男の思いを象徴する白昼夢であり、劇的効果をもたらすものでした。
 劇の後半、山盛りのギョーザを皆で食べた後に、弟は母を殺した事を告白し、すべてをわかっていた兄は自首をすすめます。

 赤堀氏は、今回切実な生活を描こうとしたと言っていますが、切実さとは日常に内包されているものです。

 今回、日常から見事、切実さをすくい上げた『肉屋の息子』は、観客の想像力を十二分にかき立てた上質な演劇であるといっても決して過言ではありません。

2004年6月20日(日)観劇

<THE SHAMPOO HAT『肉屋の息子』>
公演日時:2004年6月15日〜6月23日 ザ・スズナリ にて
作・演出:赤堀雅秋

○次回予告○
第17回公演「タイトル未定」
2004年12月7日(火)〜12日(日) サンモールスタジオ にて 

 

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